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ものが多いことが不幸なわけではない

作成者:assi 作成日:金, 12/18/2015 - 23:07

iPad買った。これでよりスキマ時間を活用できて、生産性もアップすると思うじゃろ?
それもあるけど、自分の場合は便利なデバイスが増える分、誘惑も増え、結果的に無為に過ごす時間も増えるんじゃ。
別にこれは、デバイスが悪いんじゃないぞよ。自分をコントロールできない自分が悪いのじゃ。

大きい視点でものごとを考えても同じぞよ。
よく途上国を見てきた人は
「貧しい国はものがなくても、幸せがある。日本はものがあっても、幸せがない」
なんて言うが、それはもののせいじゃないと思うんじゃ。
(ちなみに、この人は昔の自分ぞよ)

ものがない状態から、ものが豊かな状態に移行するには大変じゃが、その逆、つまりものが多い状態から少ない状態に移行するのは簡単なんじゃ。
手放せばいいだけだからの。
「もの豊かな状態でもいられるし、少ない状態にも移行できる」
というように選択肢が多い方がいいのは、紛れもない事実なんじゃ。

自由にも同じことが言えるの。
きっと多くの人は自由を求めずにはいられないと思うんじゃが、行き過ぎた自由はときに人を不自由にするのじゃ。
何をやってもいい、何にも縛られない、何の心配もする必要もない、という状況になったときに、何をしていいかわからなくなることがあるんじゃ。
(ちなみに、これも昔の自分ぞよ)

大多数の人にとっては、ある程度日々の制約があって、直近の目標(目標もある意味では、自分に対する束縛じゃからの)があった方が、日々より活動的に、限りある時間を有効に活かして生活ができると思うんじゃ。
これも結局、自由過ぎる環境そのものが悪いんじゃないぞよ。標も何もない、ただ広いだけの大海の中で、思いっきって舵を取れない自分が悪いのじゃ。
でもだからって、自分を責める必要もありんせん。

もちろんどんな状況でも自分を律しきれることは大事じゃが、もっと大事なのは、状況によっては自分は自分を律しきれない、ということを自分で知っておくことじゃ。
自由過ぎる状況が苦手なら、なるべくそういう状況にならないように日々コントロールすればいいだけの話だからの。

無理して自分が完全になることを目指すよりも、自分の弱さを知って、その弱さをまずは自分でカバーできることが大切なんじゃ。
そうすればきっと、人生はもっと自分にとって生きやすいものになるぞよ。

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